惣観寺(そうかんじ)
(写真:安養山惣観寺(あんようざんそうかんじ))
「安養山惣観寺(あんようざんそうかんじ)」は、弓削島(ゆげしま)・引野地区にあるお寺です。
元々、引野地区には「安養山青林庵(あんようざんせいりんあん)」(松林庵ともいわれた)という庵(あん)がありました。この庵は、1695年(元禄8年)の火事で焼けてしまって、資料が残っていないので、いつからあったかははっきりしていませんが、芳洲柏和尚(ほうしゅうかしわおしょう)という方がお寺の運営に貢けんしたと考えられています。
今の「安養山惣観寺」になったのは1870年(明治3年)のことです。上弓削(かみゆげ)地区に「普門山惣観寺(ふもんざんそうかんじ)」という住職のいないお寺がありました。そのお寺の建物を引野に移し、2つのお寺の名前を合わせて「安養山惣観寺」ができました。元々、本堂は上弓削から移してきたものでしたが、シロアリにより破損がひどく、使用できなくなり、1951年(昭和26年)に同じ位置に、ほぼ同じ形で再建されました。
(写真:惣観寺入り口にある黒田彌七のひ)
惣観寺の見所は、入り口にある「黒田彌七之碑(くろだやしちのひ)」と書かれたお墓です。その文字は日露戦争(にちろせんそう)で指きを取るなどの活やくをした乃木希典(のぎ・まれすけ)将軍(しょうぐん)が書いたものです。その他にも江戸時代(えどじだい)のお墓があります。
(写真:乃木将軍がこのひの文字を書いたことを表す記録)
また、本堂の色は、少し黒っぽく見えますが、昔はもっとあざやかな赤色をしていたそうです。実際に惣観寺に行って、本堂の色やお墓を見てみてください。
【取材協力】
上島町教育委員会 学芸員
有馬 啓介(ありま・けいすけ)さん
【参考文献】
弓削町役場「弓削町誌」1986年(昭和61年)
【調査・文章】
2017年度弓削小学校6年生