弓削道鏡(ゆげのどうきょう)

 道鏡(どうきょう)は奈良時代に活やくしたおぼうさんです(生年不明〜772年)。河内国若江郡弓削郷(かわちのくにわかえぐんゆげごう)/現在の大阪府八尾市弓削(やおしゆげ))の生まれで、弓削氏の出身であることから、「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)」とも呼ばれています。

 道鏡は、女性の天皇であった孝謙上皇(こうけんじょうこう)が病気になったときに、看病して元気にしたため、上皇から大切にされるようになりました。元々はお坊さんでしたが、そうして、政治的な力を持つようになりました。

 孝謙上皇は、一度、天皇を引退しましたが、764年(天平宝字(てんぴょうほうじ)8年)にもう一度、天皇になり、名前を称徳天皇(しょうとくてんのう)としました。称徳天皇は、道鏡を「法王」というとても高い位にして、政治の世界で活やくさせました。特に、奈良に西大寺というお寺を建てるなど、仏教関連の政さくに力を入れました。しかし、770年(宝亀(ほうき)元年)に称徳天皇がなくなると、道鏡はけん力も地位も失ってしまいました。

 弓削島には、弓削道鏡の「弓削」と、弓削島の「弓削」という地名が同じことから生まれたとされる、いくつかの道鏡伝説があります。

 その一つは、古法王山(ふるほうさん)の伝説です。昔、真山(まやま)という山に弓削道鏡と称徳天皇をまつったやしろがあったそうです。しかし、標高約300メートルの山ちょうにあったため、参拝するのが大変になり、松原の浜戸宮(はもとのみや)、今の弓削神社に移したそうです。それから、真山を古法皇山と呼ぶようになったと言われています。やしろがあった山頂では、1945年(昭和20年)ごろまで、火をたいて雨ごいをする習慣があったそうです。

 他にも、今の「狩尾(かりお)」は、道鏡が住んでいた仮の住まい「仮庵(かりいお)」に由来するという説もあります。また、弓削神社は元々道鏡をまつっていたという説や、自性寺には道鏡の位牌(いはい)やお墓(道鏡塚(どうきょうづか))があります。

【取材協力】
上島町教育委員会・学芸員 
有馬啓介(ありま・けいすけ)さん

【参考文献】
弓削町役場「弓削町誌」1986年(昭和61年)

【調査・文章】
2017年度弓削小学校6年生

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