弓削の名前の由来
その昔、弓削島(ゆげしま)は串島(くしじま)とよばれていたと言われています。串島の音が残って、「久司山(くしやま)」や「久司浦(くじうら)」という地名が今も使われています。
いつから弓削という名前が使われるようになったのか、はっきりしたことは分かっていませんが、弓削という名前が、最初に文章に登場するのは、平安時代(1135年)のことです。京都の東寺に残っている「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」という文章に弓削という言葉が登場します。
弓削の名前の由来は、しょ説あります。1つは「弓削部(ゆげべ)」という集団が串島に住み着いたという説です。「弓削部」とは、木を削って、弓などのたくさんの武器を作っていた集団です。この集団がいたことから、弓削とよばれるようになったとされています。
この他に、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)というおぼうさんや弓削玄賓(ゆげのげんぴん)というおぼうさんに関係があるという説もあります。
【取材協力】
上島町教育委員会 学芸員
有馬 啓介(ありま・けいすけ)さん
【参考文献】
弓削町『弓削民俗誌』1998年(平成10年)
【調査・文章・イラスト】
2017年度弓削小学校6年生