航海士の仕事
■航海士とは?
航海士とは、船の操縦(そうじゅう)をする人のことです。海図(かいず)から潮(しお)の流れや満ち引きを読み取り、他の船とぶつからないように、海の法律を守って操縦する仕事をしています。
弓削島には、船員を育成するために作られた国立弓削商船高等専門学校があり、卒業して航海士になった人もたくさんいます。航海士には、3等級あります。位が高い順から、「一等航海士」「二等航海士」「三等航海士」と言います。さらに、一番位が高いのが「船長」です。それぞれ、国家試験に合格しないとつけない仕事です。これらの資格を持たない一般(いっぱん)の船員たちも、見習いとして乗船していました。
■航海士の仕事
お話をうかがった菊本洋迪(きくもと・ひろみち)さんは元航海士、元船長で、1939年生まれの80才です。菊本さんは、高校卒業後、船員になりました。はじめは航海士の資格を持っていませんでしたが、会社の人に推薦(すいせん)されて、神戸の海技学校で学び、国家試験に受かって航海士になりました。そして、その後も働きながら試験を受けて、最終的には船長になりました。
(写真:航海士時代の菊本さん。イタリアのピサにて)
菊本さんは外国からの輸入品や日本からの輸出品を運ぶ「外航船」と呼ばれる船に乗っていました。代表的なものでは、長さ258メートル、はば40メートル、荷物と船を合わせて約102000tの船に乗ったことがあるそうです。千葉からペルシャ湾(わん)を往復するだけで、約4週間かかったそうです。
菊本さんが乗っていた船の種類は、タンカー、こう石船、自動車運ぱん船やチップ船だそうです。のせたものは、石油、ぼうしや服、電気製品、自動車やユーカリの木のチップ、こう石やてっこう石、りんこう石だそうです。チップは紙を作る時の材料に、こう石は鉄を作る時の材料になります。
■航海士の日常
働く時間は、等級によってちがいます。一等航海士は4時から8時までと16時から20時まで、二等航海士は12時から4時までと0時から4時まで、三等航海士は8時から12時までと20時から0時までの勤務です。時間によってそれぞれ職務(仕事の内容)が決まっています。ちなみに船長は、24時間働いています。等級を持たない一般の船員たちは、8時から17時まで働いていました。
昭和30年代は、2年間働かないと休みがありませんでしたが、だんだん早く休みが取れるようになり、最終的には9か月働くと3か月休みがもらえるようになりました。
まだ電話がなかったころは、船に乗っている間、家族との連絡(れんらく)は手紙や電報でしていました。電報は、家族や自分が、電報の会社に伝えた内容が届けられるため、聞き間ちがいもあり、誤ったメッセージが届くこともありました。例えば菊本さんには、「台風で家がたおれた。すぐ帰れ」と言うメッセージが、「赤飯できた。すぐ帰れ」と伝わったことがあるそうです。
■危なかったこと
菊本さんが船の上で一番おそれていたことは、火災だったそうです。火災がおきるとにげ場がないからだそうです。
パナマ運河では、密航者(みっこうしゃ)が船に潜入(せんにゅう)していたこともありました。船に上がってきた税関の職員に、乗船員全員のパスポートを見せるように言われましたが、3人分足らなかったそうです。パスポートがない、つまり密航している3人を見つけないとパナマ運河を通れません。確認したり探したりで3泊(ぱく)したため、300万円の費用が余計にかかりました。
また、嵐(あらし)に巻き込まれたことも何度もあったそうです。天気図は毎日ファックスで送られてきました。低気圧とぶつからないようにしないといけないので、1週間前から航路を考えないといけません。その予測がとても大変だったそうです。予測が外れ低気圧の中に入ると、2日間時化(しけ/海があれること)になります。船が波の中にしずんで、またういてくるまで時間がかかって、とても不安になったそうです。
エンジンが止まってしまって漂流(ひょうりゅう)していた小さな船を助けたこともあるそうです。漂流した船に乗っていた人が旗を振っていたところを、菊本さんが乗っていた船の航海士が見つけました。船長の指示で船を横づけにして、はしごを下ろしたそうです。菊本さんが乗っていた船は大きかったので動かした時に波が立って、漂流していた船をひっくり返す可能性がありました。そうならないように、船をゆっくり動かしたそうです。
■英語でのコミュニケーション
菊本さんは、ロシア、北朝鮮以外の国へは全て行きました。色々な国に行った菊本さんはよく英語を使ったそうです。船で一番よく番う英語は、モーニングだったそうです。あいさつはどこの国でも大切だそうです。
英語でコミュニケーションが取れ、自分の意志をしっかり伝えることができるようになるには、友達といっしょに毎日英語を使って英語に慣れ、人前でもはずかしがらずにしゃべるようになることが大切だと菊本さんは教えてくださいました。このように世界中の海を航海してきた菊本さんですが、菊本さんにとって一番美しい場所は瀬戸内海だそうです。静かな波のない水平線、そして、夜が明ける時に出てくる太陽が少し赤くなる時が、すばらしいとおっしゃっていました。
※年れいは2020年3月末時点のものです。
【取材協力】
菊本 洋迪(きくもと・ひろみち)さん(1939年生まれ、弓削島出身)
【調査・文章・写真・イラスト】
2019年度弓削小学校6年生