弓削島の砂浜

■美しい弓削島の砂浜
 弓削島の海や砂浜(すなはま)はとてもきれいです。そこで、ぼくは弓削の砂浜の石について研究しました。
(写真:弓削小学校の目の砂浜)
(写真:弓削小学校前の砂浜で見つけた石)

■砂浜ができる理由
 砂浜は、地球の大地をおおっている岩石(がんせき)がだんだんくだけて、川から海へと流され、また、波で打ち寄せられたり押しもどされたりしてサラサラになった物が集まってできた物です。砂浜のもとになる岩石が黒ければ、砂浜は黒っぽく、岩石が白ければ砂浜は白っぽくなります。

 たとえば、弓削島には、上弓削地区の高浜神社前の砂浜のように白っぽいところもあれば、島の北東部にある「島尻(しまじり)」と呼ばれる海岸のように、黒っぽい砂浜もあります。
 
■弓削島の大地
 砂浜を作る元となる岩石には、大きく分けて火成岩(かせいがん)、堆積岩(たいせきがん)、変成岩(へんせいがん)の3種類があります。岩石の大きさは様々で、道に転がっている石のような小さな物もあれば、オーストラリアにある「エアーズロック」のように山全体がひとつの岩石でできている物もあります。

 また、形や色も様々です。きれいな丸、でこぼこ、三角形、多角形の物、黒、赤、こい緑、灰色、白、オレンジ、茶色の物など、それぞれに個性があります。

 弓削島の大地には、このうちの火成岩の一種の、「花崗岩(かこうがん)」が多くふくまれています。弓削島の花崗岩は、約1億年前に土の中にうまっていた岩とマグマが冷え固まって集まりできた物です。火山の噴火(ふんか)、あるいは噴火直前に固まってできるそうです。この現象(げんしょう)を「火災作用(かさいさよう)」といいます。

 またこの他、弓削島の中央付近には、「石灰山」という石灰岩が多くある山があります。島の人たちに「石山(いしやま)」と呼ばれています。この石灰山では、江戸時代の終わりごろから1972年ごろにかけて石灰の採掘(さいくつ)が行われていました。採掘した石灰は、販売(はんばい)するため、大正時代からは四阪島へ運ばれていたそうです。この他、島の北東部には、「変成岩」も分布しています。

■弓削小学校の前の海岸調査
 ぼくは、弓削高校の越智雅之先生に協力していただき、弓削小学校の目の前にある砂浜の調査をしました。越智先生は理科の先生で、2017年から2年間、弓削高校の生徒のみなさんと弓削島の岩石の調査をしたそうです。砂浜でとった石を弓削商船高専にあるダイヤモンドカッターでうすくけずり、けんびきょうで見て観察したとおっしゃっていました。

 ぼくは、越智先生が貸してくださった「岩石ハンマー」で砂浜に落ちている石をくだいたり、くだいた表面に塩酸(えんさん)をかけたりしました。(写真:砂浜観察の様子)(写真:塩酸をかけている様子)

 石は、断面がきれいな物やたたくとすぐ割れる物など、それぞれに色々な特徴(とくちょう)がありました。石をたたいた後、塩酸を1てき~数てきかけます。石灰岩だとブクブクと泡(あわ)が出てきます。このように、塩酸をかけることで石にふくまれる成分を知ることが出来ます。ちなみに、岩石ハンマーは鉄でできていて、とても重かったです。

 越智先生は、弓削小学校の前の海岸には石灰岩が多いと教えてくださいました。石山でとった石灰岩を運び、この海岸から四阪島(しさかじま)へと運んでいたかもしれない、ということです。

 ぼくは、弓削島の特ちょうを考えた時、一番に砂浜と石と考え、調べてみたいと思いました。それから、越智先生にご協力していただき、この原こうを書くことができました。弓削小学校の近くの海を調べることができて、とても楽しかったです。
(写真:越智先生とぼく)

【参考文献】
弓削町役場『弓削町誌』1986年(昭和61年)
フレーベル館『フレーベル館の図鑑NATURAちきゅうかんきょう』2005年(平成17年)

【取材協力】
愛媛県立弓削高等学校 越智 雅之(おち・まさゆき)先生
上島町教育委員会 学芸員 有馬 啓介(ありま・けいすけ)さん

【調査・文章・写真】
2021年度弓削小学校6年生

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