弓削の昔の仕事:石灰の採掘
■弓削島に昔あった仕事
昔の弓削島には、いろいろな仕事がありました。例えば、農業、漁業、製塩(せいえん/塩づくり)、養蚕(ようさん)、畜産(ちくさん)、そして、石灰石をとる鉱石採掘(こうせきさいくつ)もありました。
その中には今ではする人がいなくなった仕事がたくさんあります。例えば、養蚕(ようさん)です。養蚕は蚕(かいこ)を飼い、まゆから生糸(きいと)をつむぐ仕事です。弓削島では島の北部の「沢津(さわづ)」という集落で蚕を飼っていた人がいたという記録が残っています。畜産では、牛、やぎ、うさぎ、羊を飼っていたそうです。
■弓削島の鉱石採掘
他にする人がいなくなった仕事として、鉱石の採掘(さいくつ)があります。弓削島では江戸時代から昭和47年(1972年)に閉山されるまで約150年間、島の中央にある石灰山(標高219メートル)で、石灰をとっていました。このことから、弓削島の一大産業だったということがわかります。
この石灰山のことを弓削島の人達は「石山(いしやま)」と呼びます。(写真:現在の石灰山)
■石山での石灰採掘について
大正時代からは、石灰山でとった石灰は、四阪島(しさかじま)にあった四阪島製錬所(せいれんしょ)にセメントの材料にするため運ばれるようになりました。四阪島へ運ぶ石には少々悪い石が入っていても溶鉱炉(ようこうろ)でとかして使ったので問題なかったそうです。
一方で、同じ弓削島にあり、昭和18(1943)年に開業した森久製粉所に運ぶ石は、石そのものを製品にするため、きれいな石を納めなくてはいけなかったそうです。
戦後、採掘は休止されましたが、昭和27(1952)年に「弓削鉱業所」が再び採掘を始めました。勤務時間は朝8時から夕方5時まででした。昭和30(1955)年ごろ弓削鉱業所で働いていた従業員は20人くらいで、女の人も多かったそうです。
また、昭和30年ごろには、現在では一般的になっているブルドーザーによって岩壁(がんぺき)をけずる「ベンチカット」という方法ではなく、人の手によってほる方法で、石灰石を採っていました。
作業をする人たちは、ほりやすい岩壁の下側をほって、年に1、2度、上から岩が落ちて来るのを待っていたそうです。一度岩が落ちて来たら、約1年間はその岩から石灰石を採ることができました。雨の日は仕事は休みになりました。
石山は、子どもの遊び場にもなっていて、友人数人でお弁当を持っていって遊びながら宿題をする子どももいたそうです。こうして弓削島では昭和47年まで石灰採掘が続けられていました。
【参考文献、資料】
弓削町役場『弓削町誌』1986年(昭和61年)
弓削町役場『弓削民俗誌』1998年(平成10年)
愛媛県教育委員会『えひめ昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅵ-上島町-』2015年(平成27年)
愛媛県生涯学習センター『データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム」2009年(平成21年)
【取材協力】
上島町教育委員会 学芸員
有馬 啓介(ありま・けいすけ)さん
曽根 大地(そね・だいち)さん
【調査・文章・写真】
2021年度弓削小学校6年生