祥雲寺観音堂

 祥雲寺(しょううんじ)は、岩城島・西部(にしべ)地区にあるお寺です。祥雲寺には、国の重要文化財に指定されている観音堂があります。室町時代中期、1431年に大工の藤原重安が建てたと言われており、有名な金閣寺や銀閣寺と同じ時期に建てられた歴史あるものです。
(写真:祥雲寺観音堂)

 祥雲寺の観音堂には、言い伝えがあります。806年、松山の三津浜(みつはま)に、太山寺(たいさんじ)というお寺が建てられました。その時に余った材料と観音様をこも(むしろ)で包み、海に流したそうです。それが岩城島に流れ着き、その流れ着いた材料で祥雲寺に観音堂を建て、観音様をおまつりしたのが観音堂の始まりだそうです。そして、その流れ着いた場所を「こもがくし」と呼ぶようになったそうです。

 観音堂の大きさは、はば4.7メートル、奥行き(おくゆき)4.7メートルです。ふつうの家とは違う造りをしています。まず、屋根は「入母屋造り(いりもやづくり)」をしています。屋根を支える垂木(たるき)は、扇垂木(おおぎだるき)の配置になっています。また、「ます組み」といって、くぎを使わずに木と木を組み合わせて作られています。今は色あせてしまいましたが、天じょうにはあざやかな色で絵がかかれていたそうです。
(写真:扇垂木)(写真:ます組み。くぎをつかわないで木を組む方法)

 観音堂は、1941(昭和16)年11月6日に国宝に指定され、現在は、国指定重要文化財となっています。

 観音堂は、一度、シロアリのひ害にあって、全てを分解し、ひ害にあったところだけを修理して造り直したことがあります。1956(昭和31)年から約1年かけて、約1000人の人が協力して行ったそうです。

 他にも、観音堂には伝説があります。それは、「観音堂のりゅう」というお話です。昔むかし、ある日、おしょうさんが観音堂の天じょうにかかれたりゅうを見上げると、りゅうの口もとにニワトリの羽がついているのに気づきました。りゅうは、夜になると絵からぬけ出して、近所のニワトリを食べていたのです。そこでおしょうさんは、西部の若者といっしょに、そのりゅうをすみでぬりつぶし、退治しました。天じょうに丸が5つあるので、おそらくりゅうは5ひきいたようです。特に、真ん中にある丸が一番大きく、一番大きなりゅうがえがかれていたと思います。今でも少し、りゅうの顔が見えます。このように、観音堂にはいろいろな歴史があります。

【取材協力】
祥雲寺住職 沼田 裕章(ぬまた・ゆうしょう)さん

【調査・文章・写真・イラスト】
2018年度岩城小学校6年生
2019年度岩城小学校6年生

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