百貫島の名前の由来
百貫島(ひゃっかんじま)は、弓削島(ゆげしま)の東方4000メートルほどの海上にうかぶ、米つぶのような形の無人島です。この島には、ある昔話があります。
百貫島は、今から700年ほど前は、「辺屋路小島」と呼ばれていました。この島のあたりは、昔からたくさんの船が通る場所でした。ある時、大阪の大商人がむすめを連れて大阪に帰ると中、とつ然、むずめがわけのわからない病気になってしまったそうです。ちょうど夏のことで日ざしはとても強く、むすめの苦しみはいよいよますばかりです。なんとかしたい一心で、いろいろ手をつくしましたが、いっこうによくなりません。1日、また1日、むすめは弱って行くばかりでした。ちょうど船が「辺屋路小島」にさしかかった時、むすめはとうとう息をひきとってしまいました。
父親はむすめを大阪まで連れて帰りたかったのですが、真夏のことなのでそうもいかず、すぐそばにうかぶ「辺屋路小島」に手あつくほうむってやりたいと思い、近くの弓削島・久司浦(くじうら)地区に船をとめて、「辺屋路小島」の持ち主に相談をしました。そして、この小島を銭百貫(今の100万円くらい)で買い、むすめをほうむってやりました。それからこの島は「百貫島」と言われるようになったと言われています。
また、九州の長者のむすめが重い病気になり、土地の医者ではどうにもならないので、都の医者にみてもらうため「辺屋路小島」のあたりまで来たとき、むすめは息をひきとったという話もあります。
現在、百貫島には1894年(明治27年)に建てられた百貫島灯台があり、海の安全を見守っています。志賀直哉(しがなおや)の有名な小説「暗夜行路」(あんやこうろ)にも登場する歴史ある灯台です。
【取材協力】
上島町教育委員会 学芸員
有馬 啓介(ありま・けいすけ)さん
【参考文献】
弓削町役場『弓削町誌』1986年(昭和61年)
弓削町民話伝説調査委員会編『ふるさとの民話と伝説 第一集』1991年(平成3年)
【調査・文章】
2017年度弓削小学校6年生