西部八幡神社
西部八幡神社(にしべはちまんじんじゃ)は、岩城島の西部地区にある神社です。西部八幡神社や岩城の歴史にくわしい宮本直樹さんに話を聞きました。
■西部八幡神社の歴史について
西部八幡神社がいつできたのか、はっきりした年は分かっていません。建長7(1255)年、岩城・生名・佐島などに京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)から、神様のたましいを分けるからお宮を建てなさいという文章が届きました。その文章が届いてから作ったので、1255年以降にできたと考えられます。元々は、赤石地区(宮之浦)にあったと考えられています。
その後、1300年代後半海賊(かいぞく)の活動が盛んになると、海賊から神社を守るために場所を移しました。また、大正元(1912)年には、岩城八幡神社に合祀(ごうし/いくつかの神・霊をあわせてまつること)されました。しかし地域の人から要望があり、昭和28(1953)年に神様を返してもらい、今の西部八幡神社となりました。
(写真:西部八幡神社の鳥居)
■西部八幡神社の神様
西部八幡神社におまつりされているのは、応神天皇(おうじんてんのう)、中哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神宮皇后(じんぐうこうごう)です。もともと八幡神社は戦いや勝負の神様ですが、西部の人たちの安全や健康、豊作も守ってくれています。
西部地区の人たちにとって、この神社は人が集まる「いこいの場」だそうです。春のお花見では、大人はお酒を飲みながらおしゃべりを楽しみ、その横で子どもたちは遊んだりして、みんなが楽しむことができ、ほっとすることができる場です。
■西部八幡神社復興のために
そんな大切な西部八幡神社ですが、2018年7月に起きた西日本豪雨による土砂くずれで、本殿(ほんでん/神様がいらっしゃる場所)以外のほとんどがこわれてしまいました。地域の人にとって大切な場所なので、くずれたことはとてもショックだったそうですが、だからこそすぐに直そうということになったそうです。本殿だけは落ちずに残ったということも、地域の人の力になったと言います。
(写真:被災時の様子 提供:宮本直樹さん)
(写真:流されずに残った本殿 提供:宮本直樹さん)
復興のためにはお金が必要です。地域の方、会社や工場、団体、他の神社、募金箱などで様々な人たちに寄付をお願いしました。それでもお金が足りなかったので、チャレンジしたのがクラウドファンディングです。クラウドファンディングは、インターネットを利用して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する仕組みです。この活動で203人の方から、300万円以上の寄付金をいただいたそうです。お金だけではなく、全国の方から応えんのメッセージをたくさんもらったことがとてもうれしかったそうです。宮本さんは、「メッセージを読んで、なみだがにじんできた」とおっしゃっていました。
たくさんの人の協力によって、約1年をかけて復興することができました。復興することができたことについて、宮本さんは、「役目を果たせた。次の世代、子どもたちにバトンをわたせた気持ち」とおっしゃっていました。
復興後、10月には秋祭りをしたり、4月には竹あかりをかざったりしたそうです。また、初もうでやお花見の時には、再び地域の人が集まることができたそうです。
(写真:復旧した拝殿)
■これからの西部八幡神社について
これからの西部八幡神社について、宮本さんは「100年先の人に胸を張って残せる神社になってほしい、たくさんの人に来てほしい、思い出に残る場所になってほしい」などとおっしゃっていました。
今回の研究を通して、西部八幡神社は、岩城の人たちにとってとても大切な場所なんだなと感じました。これからもこの神社を大切にしたいです。そして100年先に残る場所にしてほしいです。
【取材協力】
宮本 直樹(みやもと・なおき)さん(岩城島出身)
【調査・文章・写真】
2021年度岩城小学校6年生