弓削の民話「八十が崖のタヌキ」
弓削(ゆげ)の文化や風習についてまとめた『弓削民俗誌(ゆげみんぞくし)』にはこのように書かれています。
「弓削は、島のわりに高い山がせまっている。そのせいか、海だけでなく、山に対するおそれやあこがれの表れた話が多い。子どもは遊び場として、一日を海、山で過ごしていたため、親は『エンコ』や『タヌキ』の話を持ち出し、子どもに言い聞かせた。教育のための言い伝えがおもしろおかしく作られて、民話として多く残っている。」(一部、平仮名に変更)
そんなお話の一つ、弓削島・久司浦(くじうら)地区に伝わる民話をマンガで表現しました。
■八十が崖(やそがたけ)のタヌキ
百年くらい前のことです。八十(やそ)という名前のおじいさんがいました。八十じいさんはたぬきが好きで、よくとって食べていました。
八十じいさん「やっぱりタヌキはうまいな~」
ある日、トントンと戸をたたく音がして「今日はおきぃ行かんのか」と声がしました。その声の主はタヌキでしたが、八十じいさんは気がつかずに、「いいやあ行くでぇ」と言っておきへいきました。おきで魚をとりはじめた八十じいさんですが、魚をとってもとってもなくなってしまいます。ふと見ると、タヌキがぬすんでいるではありませんか!八十じいさんは、もっていた道具でタヌキをたたきました。
八十じいさん「この悪ダヌキめ!」
すると、タヌキが向かってきました。八十じいさんも負けまいとタヌキに向かっていったのですが、それがタヌキがだました岩だったのです。
タヌキ「うしし、あのじいさんめ、だまされてやんの~」
八十じいさん「このタヌキめ、この、この・・・」
八十じいさんは岩にぶつかって死んでしまいました。親を八十じいさんに食べられた子ダヌキが仕返しにきたのです。それからその場所のことを「八十が崖(やそがたけ)」というそうです
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<もっとくわしく知りたい人へ>
この話とは少しちがう話もあります。弓削の歴史をまとめた『弓削町誌』には、八十が崖について、以下のように書かれています。
「ある日のこと、ここへタコをあさりに来ていた八十さんという人が、一ぴきの子ダヌキを見つけとらえて帰り、食べてしまいました。次の日も八十さんがこのはまへタコとりに行ったところ、とつ然ガケの上から、タカに化けた親ダヌキが八十さんの頭上におそいかかってきました。タコとりかんぎをふりかざして必死に戦ううちに、八十さんは自分の顔をかんぎで引っかき、血だるまになってたおれてしまいました。
それから、このガケを八十が崖と呼び、村人たちは不気味な場所としておそれてきたとのことです。」
『弓削町誌』八十が崖(やそがだけ)より一部抜粋(ばっすい)
※一部、平仮名・カタカナに変更
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おそらく、こちらの話が先にあって、後から上でしょうかいした話ができたのではないかと思われます。民話は、人々が口伝えで伝えてきたものなので、このように話が変わっていくこともあります。上島町には、他にもタヌキにまつわる民話がたくさんあります。調べてみてください。
【参考文献】
弓削町役場『弓削町誌』1986年(昭和61年)
弓削町『弓削民俗誌』1998年(平成10年)
【調査・文章・イラスト】
2017年度弓削小学校6年生